沿革
1905年 (明治38年) | 東北地方大凶作となり、仙台市内の教会は協力して救護活動に努める。 |
1906年 (明治39年) | 宣教師フランシス・E・フェルプスが飢えに苦しむ棄児7名を救済したのが本院の始まり。
国内外より多額の寄与を受けて市内北四番丁に院舎を建設する。(当時の入所人数270余名) |
1924年 (大正13年) | 経営困難なため解散の議起こる。 |
1925年 (大正14年) | 北野高弥6代目院長となり、味噌の醸造、養蚕など夫人と共に経営の改善にあたる。 |
1932年 (昭和 7年) | 大坂鷹司が7代目院長となる。5月乳児棟建設。 |
1933年 (昭和 8年) | 三陸海岸に大津波が起こり、県下5ヶ所に臨時託児所を設置する。 |
1935年 (昭和10年) | 現在の小松島に院舎を新築移転し、乳牛飼育、りんごの栽培を始める。 |
1945年 (昭和20年) | 戦災援護会と協力して四恩学園を設置。戦災孤児、浮浪児の収容にあたる。 |
1952年 (昭和27年) | 社会福祉法人に組織を変更。 |
1955年 (昭和30年) | 阿部報公会より寄付された基金をもとに「仙台乳児院」を開設。 |
1963年 (昭和38年) | この年より3ヶ年の継続事業として養護施設院舎を改築する。 |
1968年 (昭和43年) | 大坂譲治、8代目院長となる。 |
1971年 (昭和46年) | 丘の家マスタープラン策定が始められる。
その一環として、コッテージの新築、男児棟の改築を行う。 |
1976年 (昭和51年) | コッテージ5棟による養護施設「小松島子どもの家」開設。 |
1978年 (昭和53年) | 「小松島子ども療育センター」開設。 |
1979年 (昭和54年) | 民間としてわが国初の情緒障害児短期治療施設「小松島子どもの家」を開設。 |
1982年 (昭和57年) | 仙台乳児院老朽化のため全面改築、ホームシステムの新院舎完成。 |
1985年 (昭和60年) | わが国初の情緒障害児のための「親子訓練棟」(大坂誠記念館)建設。 |
1990年 (平成 2年) | 「丘の家2000小松島総合福祉むら基本計画」マスタープラン策定。 |
1993年 (平成 5年) | 特別養護老人ホーム「シオンの園」開設。 |
1996年 (平成 8年) | 児童養護施設新院舎(小舎型)、地域交流スペース・多目的ホール完成。
落成献堂式並びに創立90周年式典挙行。 |
1997年 (平成 9年) | 小松島訪問看護ステーション開設。 |
2000年 (平成12年) | 地域小規模児童養護施設「かりんの家」開設。 |
2001年 (平成13年) | 虹の丘保育園開設。 |
2006年 (平成18年) | 特別養護老人ホーム「シオンの園」増床(ユニット棟)完成。小松島地域包括支援センター開所。
仙台キリスト教育児院創立100周年記念講演会・記念式典・祝賀会開催。
仙台キリスト教育児院100年史(処遇史)刊行。 |
2007年 (平成19年) | 大坂欣哉、9代目院長となる。 |
2008年 (平成20年) | 2つ目の地域小規模児童養護施設(グループホーム)「井田ホーム」開設。 |
2009年 (平成21年) | 情緒障害児短期治療施設「小松島子どもの家」居住棟4棟新築。 |
2010年 (平成22年) | 地域小規模児童養護施設「かりんの家」転居。 |
2016年 (平成28年) | 鈴木重良、10代目院長となる。 地域小規模児童養護施設(グループホーム)「井田ホーム」転居、「ひまわり」と名称変更。 |
2020年 (令和2年) | 地域小規模児童養護施設(グループホーム)「すみれ」開設。 |
2023年(令和5年) | 乳児院 丘の家乳幼児ホーム 新築。 |
2024年(令和6年) | みやぎ里親支援センターけやき 第二種社会福祉事業 認可。 |